こんにちは!
サンから引き継ぎました、なつ(瀬崎)です。
紗奈は楽しいことが大好きな人で、私は紗奈のそういうところが大好きです!私自身は割とフットワークが重いのですが、紗奈が持ち前の困り眉を緩ませて「この試合終わったら絶対ごはん行こ」「ドライブしよう」「宇都宮行っちゃう、?」と照れくさそうに言ってくると、わくわくしてイエスを出してしまいます。社会人になってもニヤニヤ顔で誘ってよね、全参加します^ ^
そんな紗奈は、四年間で大きく変わった人でもあります。
人想いなところはずっと変わらず、意見や考えを発信する姿を見る機会が増えました。変化には莫大なエネルギーが必要なのがわかるから、四年になっても変わり続ける紗奈のことをずっと尊敬していました。
休部時にくれた連絡もとってもありがとう。私の思い上がりでなければ、紗奈は私が大事にしたいことやそのために起こす行動に気づいて、認めてくれていた人だと思います。そんな紗奈の優しさに私はたくさん救われたし、戻りたいと思った理由の大きなひとつでした。
紗奈との思い出は、特に去年の早慶戦。あと一歩、同じ立場で同じような感情を味わいました。前日ミーツで二人して大号泣した後に向かった硬野のサブ練や、その後なるらいりと四人でアイス食べた(けろさんありがとう)のが懐かしいね。絶対に美化しないさせない、と誓ったことも懐かしく思います。
あのとき一緒に前を向いたから、今年の早慶戦で一緒にメンバーに入れたのも、リーグで紗奈のドローがはまった姿も、明学戦での得点も(なるとハイタッチしたんだから!)、本当に本当に嬉しかったんだよ!!
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それでは本題に入ります。
エンジの誓いを書いてから十ヶ月。
あの時思い描いていたこともそれ以外も、信じ難いほど多くの出来事がありました。後輩(主にキラちの)に問われる度「語るにはまだ早い」等とはぐらかし続けてきましたが笑、この機会にちゃんと振り返ってみます。
三年間については以前書いたので、今年について。
| 変化
このシーズンの最も大きな変化は、選手を辞めたことです。
入部してからの三年間は、私はこの組織にいるタイプの人間ではない、という自覚を強く持つには十分な時間でした。私にとってこの場所が「いるべきでない」というより、あまりに異分子な自分はこの場所にとって「いるべきでない」存在だという考えが、消えませんでした。
それはいつでも頭の片隅にありながらも、過ごすほどに、ここにいたい・この人達を大事にしたい・この場所で戦いたいと思う理由は見つかって、この場所への想いが強まっていくのも事実でした。
その結果「 “いるべきでない” はずの自分が、この場所に残るなら」と、自分に課すものが増えていきました。
この場所に残るなら、
早慶戦やリーグ戦で活躍する選手になってサブチームの子達の希望になりたい。誇れる組織を創りたい。後輩には傷つけられることなく、ラクロスを楽しんでいてほしい。それを守るために矢面に立ち続けられる自分でいたい。絶対に逃げずにやり抜いて、自分が憧れたような背中を見せられるようになりたい。
これらは私が私自身の為に叶えたいことである一方で、先述の考えから、責務でもありました。裏返すと、保身や弱さを理由にこれを果たせない状態の自分は、ここに「いるべきではない」。
だから戦え、戦え、戦え、
今シーズンは、課した責務と、それを果たさなければならない場面が段違いに多く、疲弊していきました。
けれど疲れて怖がって、現実に目を瞑る自分がいてはいけません。守ると決めたものを守らなければいけません。ただの練習に行くのに勝負曲を聴くようになり、翌日に向けた膨大なルーティンを終えないと眠れなくなり、短期的に自分を奮い立たせることが日常になりました。それを重ねていたらあるタイミングで糸が切れ、体調を崩し、休部に至りました。
休部は、初めて立ち止まり、自分だけを主語にして、感情と意志がどこにあるのかを探す時間でした。一度離れると、没入していたときには見えなかったことまで見えて、自分がずっとなにを感じていたのか自覚して、考えは巡って、
どれだけ考えても考え尽くせた気はしなかったけれど、
このチームが、私が過去「ここにいたいと思った場所」であることは確かで、そう思った瞬間の煌めきと確かさを信じて、復帰を決めました。
そして、その時に選択可能だった道の中で出した結論が、サブチームコーチへの転向でした。
ラストシーズン開幕戦の十日前。残りの半年で、誰に何を還元し、どんな景色を見たいかを考えた結果の、そのときできる最大限に前向きな選択でした。
| 感情
このシーズンの苦しさは、
自分が手放した未来を、目の当たりにし続けること でした。
転向してから見るラクロスは、日々の練習からリーグ戦の舞台まですべて、私が手放した、掴む可能性のあった未来でした。
九年間の選手生活で「全てがこのためにあった」「これが見られるならもう何でもいい」と思ってしまうような瞬間を、何度か経験しました。
サマーで決勝進出が決まりもみくちゃになった時、ウィンター慶應戦でももこが決めて三人で抱き合った時、23準リーグ法政戦でなるにアシストした時、24準リーグ慶應戦に勝った後のあの河原での紺碧(しあワセダではなが泣いた^ ^)、リーグ初出場のときに応援席から名前を呼んでくれた声や鼓動の高まり
どんな言葉もあの瞬間を適切に表せている気がしないけれど
これがたぶん「ラクロスが楽しい瞬間」「ここにいたいと思った理由」で、いつ訪れるか、そもそも次が本当に訪れるのかもわからないそれを追って、ままならない日々も積み重ねられた。あまりに割に合わないけれど、そういうものなんだと思います。
選手を辞めると決めたとき、これまでのように、そのとき感じていた全てを「このためにあった」と言えるようになる可能性がまだあること、転向はそれを自分のプレーで掴み取る未来を手放す道であることはわかっていました。
想定はしていた、けれどちゃんと、想定以上に苦しかったです。
どんなに悩んで苦しんでいた人も、点が決まれば抱き合って、全部から解放されたみたいに笑う。練習中の小さな成功で、ぱっと顔が明るくなる。
そうやって「その瞬間」に立ち会っている大事な大事な仲間を見る度、良かったね、と心から思うと同時に、自分が手放したものの重さが実感を持ちました。「もし自分がコートにいたら」という、もう起こり得ない分岐を想像しながらラクロスと向き合い続けるのは、思っていたより苦しかったです。
言葉の説得力がなくなったこと も苦しさのひとつでした。
後輩から相談を受けるとき、何度もごめんねと思いました。自分が辞めてしまったから、力になりたい人に向けて何を話しても、「だから大丈夫だよ」と言えない。自分が選手としての道を貫くことで希望を示したかった相手に、折れた姿を見せ不安にさせてしまったから、何も言葉をかけられない。自分の言葉を、自分で信じられなくなりました。
お察しのとおり、本当に面倒くさい性格なので、これらに苦しさを感じるのを許すこともできませんでした。「そこまでわかって手放したのに」「選手を続けた場合の厳しさを忌避して辞めたんじゃないか」「結局この苦しさも甘えなのでは」と自分を疑う声が止まず、それもまた自分を否定する材料で、笑
そんなふうに心に嵐が吹き荒れた日がありながらも、同期と共に引退を迎えられたのは、
新たな、気づき と 幸せ が、あったからでした。
このシーズンの気づきは、
自分の周りには、本当に多くの人がいてくれていること でした。
この「周りにいる人」は私に想いを向けてくれる人でした。
私が何を考えどうありたいか(自分→自分)、私が誰に何をしたいか(自分→他者)、誰が何を大事にしたいどんな人か(他者→他者)といった想いには、たぶん人より敏感で自覚的だった一方で、
他者が自分に向けてくれる矢印にはとことん鈍かったな、と実感しています。鈍かった、というかそれらをまっすぐ受け取れるほどの自信がなかったから、自分に向く矢印をないものとしていた、というのが正確かもしれません。
主人公になってほしい、ニコイチだよ、一人にしたくない、最後まであおいとプレーしたい、選択を信じる、一緒に引退しよう、なつさんは戻ってくれると信じていた、19番を背負わせてください、他にも沢山!
ひとがくれる言葉と、そこに込められた想いは確かに私の支えでした。選択した自分を疑ってしまうときも、その想いの存在を理由に、選んだ結果の「今」を否定せずにいられたり、そんな人達の力になりたいからと頑張れたり。
気づくのが遅すぎたけれど、支えの存在に無自覚に、自分だけの力で立っているかのような顔をして終わらなくて良かった。
このシーズンの幸せは、
他者の成長に、本気になれたこと でした。
この部にいる人達は努力家で、目標に対して真摯で、だから私がいなくてもきっと成長できたこともわかっています。でもその成長の一端に自分が貢献できたかもしれないことは、まぎれもなく希望でした。
真夏のレスト中までセットの反省をしちゃうAT、せなが準を勝ちたい理由に私の名前を挙げてくれた時、なつさんに褒められたいと甘えるりのいと、レッズランドで練習前に目標共有を始めた2年生の輪、練習後にカナディ講座や裏1-1研究をしていた皆の姿、ナイスプレーの後子どものような顔で「なつさん今の見た!?」と振り返る笑顔(時々見てなくてごめん汗)
どれも全部、今年この立場を選んだから見られた宝物です。
今も正直、選手として引退していた姿を全く想像しないと言ったら、嘘になります。プレーしてる夢を見て目が覚めた夜中も一度や二度じゃありません笑。でも、これらの素敵な場面を見られたことと、それに繋がる選択をしたことを後悔はしていません。
9年続けたのに親に見せた最後のプレーが何かもわからない、そんな辞め方をしてしまったラクロスを、楽しいものだと、改めて教えてくれたのは、サブチームのみんなでした。
みんなが笑うから、そのためにがんばりたかった。
サブは本来トップに上がるまでの通過点で、それもできるだけ早く“通過”したい、定着すべきでない場所なのかもしれないけど、
私は、自分がいた頃も今もずっと、それぞれに葛藤を抱えながらも必死に上を目指すこのチームのことが大好きで、強く強くひたむきであり続けるみんなのことが大好きでたまらなくて、
みんなの成長、みんなと勝つことに懸けたいと思いました。
あの爆発的な歓びを、この子達と共有したい。勝って、このチームの最高さを示したい。スポーツだから、結果で判断されてしまうから、だから勝利でみんなの日々を証明したい。みんなの「楽しい」とそれに至るまでの葛藤や努力を、もう日本の全員に認めさせたい。楽しいの先に勝利があると信じていたい。
勝たせたい、勝ってほしい、じゃなくて、
私を主語とした「勝ちたい」がまだ抱けるんだと思って、自分の中で確かに炎が燃えていることが、こんなに嬉しいことだと知れて良かったです。
シーズン中はどうしても苦しさや大変さにフォーカスしてしまっていたけど、準リーグ全国優勝を掲げてみんなと試行錯誤した数か月間、サブコーチとしての半年間、私はちゃんと楽しかった!
そう言えることがとても嬉しいです。ありがとう。
みんなよく頑張ったね、本当に本当に勝ちたかったです。
私が勝利で示したかったことは、みんなの未来によって証明し得ることです。みんなの活躍と幸せを、心から願っています。
| 全ての後輩へ
今年の話はこれくらいにしておいて、
(文字が多すぎるよね、お菓子でも食べて小休止を挟んでほしいです。松木は読むのを諦めないでね??汗)
迷って止まってまた歩き出して、を繰り返す日々の中で、なつさんのブログでも読もうかと、そーんな可愛いことを考えてくれた(かもしれない)後輩達に向けて、
伝えたいことを二つ残します。
(1) 序列や評価の中に、あなたという人間を置かないでほしい
勝利 を優先順位の一番に置くこの場所で、評価と全く無縁にラクロスを楽しめている選手はほぼいないように思います。毎週送られてくる序列一覧に自分の名前を探し、その位置の変動に一喜一憂したり、6-6やクリライの出方で自分の上下は誰かを思い知らされたり。
そうやって日々触れ続ける “序列” や “評価” は、いつからか名札のように自分に張り付いて、発言や、行動、表情の作り方までもを縛るものになったりします。他の誰が否定しても、自分が一番「この位置の人間」として自分を見てしまう。序列を理由に自分を肯定/否定したことや「自分が何を言っても」という声がよぎったこと、きっとあるよね。
振り返ると、
私の四年間は、それに抗う時間だったように思います。
序列の自分を自分にしないこと、が私のこだわりでした。
言い換えると「評価は私のラクロス技術についてのものであって、組織やチーム、日々に関する考えは人間である私自身のものである」という事実を忘れないこと。
経験者として入部して1番だった頃も、試合に出る同期を横目にサブチームで練習する時も、トップチームの最下層にいても、六大戦でスタメンになっても、早慶戦のメンバーに入っても、
立場に関わらず言うべきことを言う。私の言動を、私という人間が、自分の責任で選び取ったものにする。
練習中の反省、プレーに関するFBや議論、新シーズンに向けた学ミ、後輩からの相談、部内で起きるさまざまなぶつかり、どんなときでも
優しさと正しさ、私が大事にしたいことを大事にし続けることがその信念を保つための方法で、絶対に譲りたくないことでした。
あなたが発する言葉、選ぶ行動、主張する意見、感じること。
全てがあなたという人間のもので、序列の上下やチーム内の立ち位置を理由に縛られたり、許されたりするものではありません。
立場によって抱く意見は変わり得るけれど、それは、あなたが一人の人間として大事にしたいことを手放す理由にはなりません。
どうか、ひとりの人間としての自分を、持ち続けてください。
「彼我の原動力となれ」は、互いがそれぞれの意志で立つ人間だからこそ、掲げられる理念です。
今あなたがどんな状況にあるのか私にはわからない、けれど、あなたがあなたでいるままで、この組織に存在していることには、確かに大きな意味があると思います。
(2) あなたはきっと、いたほうがいいこと
冒頭述べましたが、自分がここに「いるべきでない」、こんな自分は「いてはいけない」と思うとき、それに勝る理由を見つけるのがひどく難しいことは身をもって知っています。
その上で伝えたいのは、あなたはこの場所にとって「いたほうがいい」存在だということ、「いてはいけない」の理論はきっと、対自分でしか適用されない考え方だということです。
「自分がいなくてもこの部活は当たり前に回る、だから自分は必要ない」というのは酷だけれど真実で、これはどんなエースにも人格者にも真実だと思います。誰かが担っていた枠は、その人がいなくなっても色んな誰かが寄り集まることで欠片ずつ埋められていくし、その人が最初からいなかったらその枠が必要という前提すらなくなり、枠ごと不要になる。これは全ての人に対して、真実です。
不可欠であることを存在意義とした場合、存在意義という言葉はあまりに脆い。頼るには難しすぎます。
けれどあなたが大事にしたい人を思い浮かべるとき、その誰かに対して(組織を回すために “不可欠” な存在ではないけど)この組織にいたほうがいいと、いて欲しいと、思うよね。
ある人にとっての重大な他者(例えば仲の良い誰かや、この人の為にと思うような相手)は、その個人にとって必要な人だから当たり前に「いて欲しい」し、
ある人にとって重大でない他者も、他の誰かにとって重大で必要だから「いたほうがいい」し、
もし誰からも矢印を向けられていない人がいるとしたら、その独立性を持ってラクロスに関わるその人は、組織の多様性・強さを維持するためにきっと、いないより「いたほうがいい」。
自分を対象としたとき、「いたほうがいい」に頷くのはだいぶ難しいけれど、自分もだれかにとっての他者である限り、この論理を否定はできないんじゃないかな、と思います。
みんなが自分をどんな存在とおいてもいいけど、わがままを言うなら、みんなには自分を否定しないでいてほしいです。あなたの価値は、あなたが何かを為すからではなく、あなたがいることによって生まれるということを信じてほしい。
みんなは本当に、私の原動力でした。
ずっと変わらず守るべき人達で、あなたたちがいてくれたから、私は目指したい組織を掲げ続けられました。四年として、組織幹部として、チームを考える時はいつも、あなたたち一人一人が笑っている姿を願っていました。Tシャツの腰に「邁進」の文字を見る度、背筋が正される思いでした。
トップサブαβ、芝かブルシか、はたまた櫓の上か
どこに属しどんな想いで何に取り組んでいるかに関係なく、みんなが毎朝起きて伏見に来て、練習するその姿に、突き動かされていました。あなたが、いてくれてよかったです。
これらは私の心からの想いで、そのままに受け取って欲しいけれど、綺麗事に見える言葉を、冷ややかに読むしかない人の存在も知っています。
それはそのまま、私達が傷つけたことのある人達だと思う。だから私は、間違いを認めなければいけません。
このチームは今年、たくさん間違えてきました。
日々の練習の小さな言動から組織的な決定まで、間違えたのが結果のときも過程のときもあったし、伝え方や見せ方への努力を軽んじたこともあったと思います。拾うべき声を拾いきれず、自分達の声に価値はないと言わせてしまったり、大事にするものの順番を間違えたり。
あのひとが、チームが、と間違いの原因を自分以外に置くことは簡単です。でも今年のこのチームの間違いは、それを作っていた私達が、私が、犯した間違いです。
このチームを先頭に立って作る四年として、変えられる立場にいたはずの人間として、これまで間違えたこと、間違いに気づきながら変化を起こせなかったときのこと、間違える度に必ず誰かを傷つけていたこと、ごめんなさい。
それでも毎朝練習に来て、この場所に所属し続けてくれてありがとう。原動力でいてくれてありがとう。
これは許されたいからではなく、ただ伝えたいから残す言葉です。みんなが学んだこと、感じたこと、そのひとつひとつを糧に、素敵なチームを作ってください。
みんなのぴかぴかの笑顔が大好きです。
| 同期へ
最後の最後までいろーんなことがあったね、ひと波超えたらまたひと波を繰り返して、私達は本当に一筋縄ではいかなさすぎる学年だったように思います。波ひとつ起こしてごめん、
一方で、向き合うべき時に、向き合うべきことと、きちんと向き合い続けた代だとも思います。大波の中でも考え続け、行動し続けたと、自分たちの歩みに胸を張れるはずです。
矢印の向きは違っても、かけている想いの強さはちゃんと一緒で、その意味でみんなのことは、心から信頼できました。
幕張の公園でぎゅっと集まってした4時間星空ミーツ、あずが主将になった日、ここから始まるんだってわくわくしたなあ。最後まで一緒に走り抜くことができてよかったです。
好きとか嫌いとかもうそういう次元じゃなくて、このわたし(?)が、言葉にするのを諦めそうになるけど!とにかく!
ラクロスとラクロス部に真っ直ぐに向き合い続ける、
強くて真面目で不器用すぎる、そんな34期の一員であることは、ずっと、私の矜持でした。
| 最後に
全ての選択を「これで良かった」と結論付けられるほど、綺麗なだけの時間ではありませんでした。
でも、
あの日ラクロスに出会ったこと、始めたこと。
憧れたこと。続けたこと。
一生忘れない景色や感情を、沢山知ったこと。
もう続けられないと思ったこと。
プレーを辞めると決めたこと。
それでもこの場所を手離さなかったこと。
この十年を、誇りに思います。
そして、それを支えてくださった全ての方々に、
いただいた愛と期待と応援に、心から感謝しています。
本当にありがとうございました。
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次は、なるにお願いしました。
実はなるの紹介を書くのは二回目!あすなろブログ以来です。私の警察官エピを紹介されたあの頃とは、お互いの立場も関係性も色々変わったなあ、などとしみじみしてしまいます^ ^
なるは、ずっと芯が強い人です。自分ではままならない逆境にいても自分の力で立って、その時やるべきことをやり続けることができる人で、静かに燃えている人です。
これは選手の頃も育成コーチになってからも変わらずで、1年生が試合応援で大声で歌って踊る姿を見ると、なるにありがとう、と言いたくなります。前例のない40人の新入生をなるが沢山悩みながら育ててくれたから、組織と繋ぎ続けてくれたから、実現された応援席でした。
ウィンターで1年生の勇姿を見たときも、嬉しくて嬉しくて!
いつかのナイター後、育成になろうかなと話してくれたときのこと覚えてる?あのときは寂しくて一緒にやりたくて、すぐに背中を押す言葉はかけられなかったけど、報告を受けたときも全集前からありえん泣いちゃって、哀しい選択みたいにしちゃったけど、でも、なるのこの一年が挫折の末の一年じゃないことは断言できます。
だって早稲田の未来に残す、あんなに素敵な1年生が育ちました。彼女たちがひたむきにラクロスを楽しんで、観る人に力を与えるようなプレーをして、そんなふうに育ったのは、なるがそう育てたからです。なるには自分を認めてほしいです。
今年は特に、なるがいてくれたから、頑張れた1年でした。
多くのリーグ戦を隣で見たね。荒れ狂え五十嵐組、と歌いながらなんでこちら側にいるんだろう、と分岐の先を眺めたね。
感情を認めることから逃げてみたり、逆に、このままじゃだめだよね・目を背けて距離を置いたまま終えたくないよね、と話し合ったり、言葉にしたものもしなかったものも含めて、本当にいろんな想いを共有してきました。
ひとりじゃないことがずっと支えでした。積もる話がありすぎるから、とりあえず二人でお疲れさま会開催しましょう!約束!
それでは失礼します。

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