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2023

【想いを繋げ 〜#62 てん〜】

こんにちは!

かやから引き継ぎました4年の山口(てん)です。



かやは家が近い同士として、おはようLINEもずっと一緒で、何度かやに助けられたことか数しれません


しかも同じMFというポジションで、なおかつ身長も一緒、ドローのプレイスタイルも似てるから勝手にライバル視をずっとしてました笑



普段のかやは料理上手でシャインマスカットをタルトにする人間いるんだと驚いた記憶があります笑


いつかかやの自作のお菓子を食べさせて欲しいです!!






それでは本題に移りたいと思います。



 気づけばもう4年生です。ここから少し長くなるのですが、自分の思い出話をさせてください





 私がラクロスを始めたのは高校1年生、受験も落ちて滑り止めの私立でこれから過ごすのかと暗い気持ちが続いてた4月でした。



 担任に部活の新歓集会があるからと体育館に集められ、新入生の私は体育座りでステージをボーッと眺めていました。


 そこで出会ったのがさらさらロングヘアの超絶美女

のわかな先輩です。(農大ラクロス部に所属してました!)高校のラクロスチームのユニフォームはまるでAKBの衣装のようで、白のTシャツに赤チェックのミニスカートとという珍しいものでした。


 美少女と衣装の可愛さだけに引かれて入ったラクロス部でしたが、思っているより何倍も楽しく1年生の秋の大会前にはAチームにあげてもらうことが出来ました。


そして高校二年生に上がる頃には憧れのわかな先輩の後釜として副部長に選んでもらい、部長はすずか、アタックリーダーは現在慶應ラクロスのみもという構成でチームを作っていきました。


初めてやる競技の一年目で副部長としてクリアライドの戦術を任せてもらいました。しかし所詮競技歴1年の素人なので分からないことも多く、自分の不甲斐なさに沢山泣いて、沢山苦しんだ記憶は今でも覚えています。


 そんな時にチームを支えてくれたのが顧問の内野先生でした。内野先生は男子ラクロス歴10年以上の大ベテランでスティーラーズというクラブチームに所属しており、その経験を全て私たちに還元してくれました。毎日お昼の時間に学食を食べながら幹部の4人と内野先生で、戦術やチームの方針について話しあい、私たちは手探り状態でチームを作っていきました。


 紆余曲折はありましたが、その甲斐あって私たちの代は全国ラクロス選手権第三位という快挙も成し遂げ、今まで支えてくれた内野先生への恩返すことが出来ました。





 苦しかった受験期も終え、早稲田大学に何とか入学できて、サークルは何にしようか悩んでいた時ラクロス部という選択肢もありました。ですが正直三位決定戦で点も決めることが出来て、私のラクロス人生はこれで終わりでいいかなと考えていました。


 そんな時に私をラクロス部に誘ってくれたのはすずかでした。


 「あおい、ラクロス部興味ないと思うけど見てみない?」

 

とその一言でちょろい私はラクロス部に入ろうかなと決めました笑

 実を言うとサークルに入ってすずかと疎遠になるより、4年間同じ部活ですずかと一緒に過ごしたいという気持ちが強くあったので入ることにしました笑自分でも少しキモイと思います。



軽い気持ちで入った早稲田女子ラクロス部、そこからの私のラクロス人生は山あり谷ありでした。




1年生


 入部してまもなくすずかと私とジーナはBチームに挙げられ、その技術力の高さに驚きました。

 チームに合流したての初っ端2on2で、さえさんの超速ノールックパスに、まなかさんのアゲアゲの強いDFで私の心は毎日ポキポキ折られまくってました。

それでも必死にラクロスに取り組み、夏すぎにはにはクロスクロッセ(当時のチーム分け発表のメール)から


Bチーム→Aチーム

てん


というメールがバイト中に届き、嬉しさとAチームの技術力の高い先輩方に混ざる恐ろしさを感じ、バイト先で発狂した思い出があります笑


  案の定Aチーム入りたて初日に新4on4で、あすはさんと当たり、はじめのグラボでミスを連発にはじまり、4周しないと抜けられないことから最後の方はヘロヘロになりながらあすはさんのつよつよディフェンスに阻まれ、ダウンボールを連発し、外野から「てん頑張れ〜」と死刑宣告が聞こえ、そのきつさから絶望しました。


この年はAチームとBチームを行き来する私にとって挑戦と情熱の日々でした。



2年生


この年は始めからAチームに入らせてもらい、早慶戦でベンチに入ることが出来ました。

それでも先輩たちの層は厚く、るるさんやかえでさんをすごいな〜と遠くから眺めてることしか出来ませんできず、試合にもあまり出ることは出来ませんでした。この時の最大の思い出が、練習試合で当時のコーチのさちさんに

「てん、かえでの代わりにDFはいれる?」

と聞かれ、

「あっ…」

と戸惑ったためその試合に出れなかった苦いか思い出があります笑


 そして夏にコロナにかかり、1ヶ月間練習をまともに出来ない日々が続きBチームで残りの期間を過ごすことになりました。

それでも久しぶりに同期とラクロスができて、あやめさんが練習を盛り上げて、毎日が楽しかったです。


この年はAチームからBチームに落ちて、ラクロスについて今1度考えさせられる年でした。




3年生


この年が私にとってのラクロス暗黒時代です。


始めのチームはCチームという1番下のチームから始まり、驚きと悔しさからその発表を見て一日中ベットの上で涙が止まりませんでした。


その後何とかBチームにあがり、共にCチームからスタートしたまりんと二人三脚でBチームを作り上げていった毎日でした。Bチームには4年生がおらず、メニューも毎日練習終わりにまりんと共に「明日どうしよっか」とうんうん言いながら考え、同期もみんなAチームへ上がっており、ゆずもケア抜けだったので、たった二人で不安に駆られた日々でした。


まりんと一緒に早慶戦にはAチームに上がれるように頑張ろうねと誓って迎えた早慶戦の前のAチーム発表


私の名前は呼ばれることなく終わりました


 発表時学年ごとに固まって座っていました。そのため私以外の同期は名前を呼ばれ、前に立っていたので、私の周りは誰もいませんでした。


 私はその瞬間目の前が真っ暗になり、涙が溢れそうになるのを必死でこらえてやり過ごそうとしましたが、自分の力量は過信されたものであると現実を叩き付けられた気持ちでした。



それでも私と一緒に頑張ってきたまりんは無事上のチームに上がることが出来たので、まりんの頑張りが報われたのを嬉しく思いました。



その後も夏合宿の間だけAチームに上がれましたが、その後にAチームに上がることはなくこの暗黒の3年時代は終わりました。



それでもBチームで一緒に切磋琢磨した2件生と1年生、毎試合配信を一緒に盛り上げてきたけい、あど、えれん。そして完全にここから私のことを舐め始めたけろ笑

ここで仲良くなった下級生との思い出が私の中の救いでした。


3年生は挫折と反省の年でした。






そして迎えた4年生




私のラストイヤーの目標は


「チームに跡を遺す」です。



これは今までラクロス人生の全てをかけて、私のいた跡をチームに残したい、今までお世話になった人に恩返しのためにも培ったラクロス経験を下級生に遺したい


そんな想いでこの目標をたてました。



 恩返しは今まで支えてくれた先輩方への気持ちもありますが、一番は内野先生への恩返しが大きいです。

 というのも内野先生は昨年の9月に交通事故でこの世を去ってしまいました。

あまりに突然の事で脳が理解しきれず、現実のことだと今でも思えません。


 試合で活躍して結果で返すことは今まで内野先生が教えてくれたラクロスを遺すことにも繋がると思うので、その思いも込めて今年1年は全てを出し切り、後悔の無い1年にします。




長くはなりましたがこれで私の話を終わりたいと思います。






次はななにお願いしました。



ななは2年生の時のシスターが一生でそこから仲良くなった、同期の中でも特に仲のいい存在です!


今年の1月に一緒に北海道に行ったのですが、2人して計画性のないマイペースなので、行き当たりばったりの旅行になりました笑


せっかく3000円かけて買った写ルンですの写真もシャッターを切り忘れてほとんど真っ暗な写真ができたのはいい思い出です笑


卒業後はヨーロッパに行きたいね!あとパスポートも再申請できたので韓国も再チャレンジしよう〜!




それでは失礼します。

 

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